この3月に東京&大阪で行う「リンカーン・センター・ジャズ・オーケストラ withウィントン・マルサリス」日本公演における見所聴き所は前回しっかりと書いたので、今度は僕とウィントンの出会いについて話をしよう。
意外かもしれないが、ウィントンを初めて日本に招聘したのは僕なんだ。1981年のことだから、まだ「田園コロシアム」時代の<ライブ・アンダー・ザ・スカイ>。この年の参加アーティストはソニー・ロリンズやチック・コリア、パコ・デ・ルシア、クラーク=デューク・プロジェクトといった豪華メンバーで、最大の目玉がハービー・ハンコックとカルロス・サンタナのスペシャル・バンドだった。このラインナップが決定した時、ハービーのマネージャーだったデヴィッド・ルービンソンからこんなメッセージが届けられた。“今回バンドに参加する18才のトランペッターは凄い奴だ。そのプレイを聴いたら、日本中の聴衆が腰を抜 かすことだろう。期待していてくれ!”ってね。それが若き日のウィントンだったのだ。

それにしても、僕はあのコンサート当日の驚きを今でも新鮮に思い起こすことが出来る。ハービー、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスという当時世界最強のリズム・セクションをバックにしながらも物怖じせずに吹きまくるウィントンに、満員の聴衆は熱狂した。とりわけ<ラウンド・ミッドナイト>の完成度には、ステージ脇にいた僕自身までもが鳥肌を立てたものだった。若干18才にして 完璧なテクニックと華麗なアドリヴ、そしてクールなサウンドを身に付けていたウイントン。しかもマイルスやフレディ・ハバードのコピーではないオリジナリティに満ち溢れている。そう、ルービンソンの言葉に嘘はなかったのだ。それ は<ライブ・アンダー>のステージが、VSOPに次ぐ新たな伝説を日本のジャズ・シーンに刻み込んだ瞬間でもあった。