音楽に関する文章について僕の思っている事を話すシリーズの2回目は、予告の通り、今は亡き武満徹さんの文章についてである。これも、「第15回ライブ・アンダー・ザ・スカイ」のプログラム用に僕が依頼したものであるのだが、人柄のあふれるやさしい語り口のこの文章は、シンプルに受け取っていわゆる「いい話」であるのだが、僕にとってはあらためて背筋の伸びる思いを抱かせるものにもなったのである。

「郵便局長さんの退職金」 武満 徹
「音楽祭といえば、私にとって忘れられない思い出があります。それは1986年のことでしたが、英国のエジンバラ音楽祭のディレクターから不意に「来年の音楽祭のために作曲を委嘱したい」という連絡がありました。ちょうどその頃、仕事が忙しく、最初はお断りしたのですが、すると、そのディレクターは次のようにいったのです。スコットランドのエジンバラの郵便局長で今年定年退職した70歳を越える人から、自分の退職金を、音楽祭の新作の委嘱のため使ってくれ、という申し出があった。彼は<ノヴェンバー・ステップス>を聴いて以来、あなたの音楽がとても好きになって、今回どうしてもあなたに新しい音楽を作ってもらいたい。しかし、ひとつだけ条件がある。彼は若い時からヴァイオリニストのユーディ・メニューインの大ファンでもある。そこで、彼のために作曲して欲しい、ということでした。まったく面識もない人間からの思いがけない依頼を、私はとてもうれしく思いました。
そしてちょうど作曲にとりかかろうとした頃、ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーが亡くなりました。彼の映画から私は本当に大きな影響を受けています。その翌年の音楽祭で世界初演されたその新作に私は<ノスタルジア−アンドレイ・タルコフスキーの追憶に−>というタイトルをつけました。
残念なことに、私はどうしても都合がつかず、その演奏を直接聴くことができませんでした。これはあとになって知ったことですが、その年のエジンバラ音楽祭はロシアをテーマにしたもので、ボリショイのオーケストラのメンバーをはじめ、多くのロシア人がその音楽祭に参加し、聴衆の中にも多くのロシア人がいたということです。そして、タルコフスキーを追悼する日本人の音楽にたいして、立ち上がって拍手してくれたということを、エジンバラからの電報で知りました。
そして、その音楽祭の翌年に、グラスゴー音楽祭に招かれていったとき、そのレセプションの会場で、私はその退職した郵便局長さんに初めて会ったのです。
「実は子供の頃、アルバン・ベルクのヴァイオリン・コンチェルトの初演を聴いたことがある。大変な感動だった。あなたがメニューインと私のために書いてくれた音楽は、私の生涯のなかで、そのとき以来の感動を与えてくれた。本当にありがとう。」私は、このひとりの音楽好きの老人によって、あらためて、音楽祭というものの素晴らしさを教えられたような気がしました。」

 音楽祭とは文字通り音を楽しむ祭りでもあるので、普通のコンサートとはまた少し違った意味合いがある。武満さんに退職金を使ってでも新曲を作曲してもらいたいと思った人がいて、それを音楽祭のディレクターが実現させようと試みたのも、そして、武満さんが二つ返事で引き受けたこの時の新曲を、ロシアの映画監督(アンドレイ・タルコフスキー)に捧げ、たまたまロシアをテーマにしたものだったこの音楽祭の会場にいたロシア人の聴衆が、遠い日本の作曲家の武満さんにスタンディング・オベイションを送ったところまでの偶然の連鎖性も、いってみれば音楽祭というものの力でもあるわけだ。
 武満さんは最後のところで、ひとりの音楽好きの老人から音楽祭の素晴らしさを教えられたと言っているのだが、その武満さんが思った音楽祭の素晴らしさとはいったい何なのか?と考えた時、こんな「いい話」は今の日本の現状では起こりえない気がするだけに、僕は武満さんに「鯉沼君、頑張ってくれたまえ」と背中をポンとたたかれたような気がしたのだった。