今回は、「第15回ライブ・アンダー・ザ・スカイ」のプログラムより大江健三郎氏の文章を紹介して、この音楽に関する文章についてのシリーズを締めくくろうと思う。
 「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」のプログラムを作成する際に、「音楽がいったい人にどれだけ影響を与えるか?」というテーマで大江健三郎氏に原稿を依頼する事に決めたのには、ある忘れられない出来事がきっかけになった。1990年に第22回サントリー音楽賞を武満徹さんが受賞し、その授賞式において大江氏が友人代表でスピーチされたのだが、武満さんがそれを聞きながら涙を流していたのである。素晴らしい作品を発表している有名作家の大江氏が、音楽にも深い理解と愛情を持っているという事が、そのスピーチからは非常によく伝わってきたので、前述のテーマでの原稿を計画する時に、真っ先に思い浮かんだのが大江氏の名前だったのだ。
「懐かしい未来の音楽」 大江健三郎

名前を出せば、もとより僕の比ではなく広い知名度の、高校生の頃からの友達が、その仕事に腹を立てたヤクザ−であるのらしい数名−に顔ほかをカッターで切られた。
しばしば見舞いに行っていた妻が−彼女はその妹−もっとも胸を痛めているのは、腕を切られたことと関係があるらしく、指の運動にいまのところ差しさわりがみられるということ。タケちゃんは、とかれの幼名で呼びながら彼女は憂えている。ギターを弾いて心のバランスをとっているのだから、それが不自由になったらどうなるのか?
音楽がなかったとしたら、一体どのように生きてゆけるだろうという問いは、若い頃には架空のものに感じられたものだ。ところが年を加えてくるうちに、具体的にその答えが浮びあがっているのを見出す。それはまったくなんとも困難なものだろうと・・・・・
僕の家の、障害のある長男は、生まれて5、6年もずっと無言だったが、野鳥の声をきっかけに言葉をもちいるようになった。ついで音楽に心をうばわれるようになり、すばらしい教師にめぐりあって、自分でも作曲するようになった。15年ほどの間にかれの作った小さな曲を、友人の演奏家たちの協力で、CDにするために録音した。
その2日間、くりかえし息子の音楽を聴くうちに、僕も妻も、新しく輝やくようなかれの魂にふれるようだった。しかも懐かしい思いがあった。まだ長男が完全に沈黙している幼児であった間、家に鳴りひびいていたのはショパンで、それは妻が心のバランスをとっているということなのであった。
音楽がなかったとしたら、一体どのように生きてこられただろうと、いささかもセンチメンタルでない実際の家庭の課題として、いま僕は考え、奥深い怖れをあじわう。さらには年齢をこえてもっとも広い範囲で人を理解しうると感じるのは音楽をつうじてである。それは時代を越えて、しかも過去にさかのぼってであるのみならず、未来へ向けてでもあるように思う。
自分がタイムマシンに乗りこむとして、未来の時にいたって芸術家たちの仕事を示され、これは知っている、懐かしくさえ感じるといいうるのは、その未来の時の音楽のような気がするから。

 この原稿を読んで、まず僕は「懐かしい未来の音楽」とはいったいどういうことなのだ?と思った。懐かしいという言葉は最新のものや未来のものに対して使う言葉ではないからである。大江氏は、未来の世界において懐かしさを感じることが出来るのは、音楽だと思うと言っている。そして、音楽を通して、人は年齢や時代をも越えて理解しあえると言っている。
 考えてみると、文学の世界では国により言葉の違いがあったり、時代によって使う言葉が大きく変化したりするが、音楽の世界ではその歴史が始まって以来、万国共通のルールのもと、たとえそれが何百年も前に作曲されたものであろうと、苦もなく再現することが出来るのだ。
 多分、音楽には決して変わらない核のようなものが存在して、いつの時代もどんな人をも魅了し続けていくと僕は信じている。そして、長年音楽の世界に身を置いてきた僕にとって、この事は非常に嬉しく強い励ましとなっているのである。