Keith Jarrett "The Melody At Night,With You"

あれは1982年の秋のことだった。仙台でのソロ・コンサートが終わった後、キースと奥さんのロザーンと僕とでイタリアン・レストランのテーブルを囲んでいた時。僕はふとキースに、前々から考えていたことを話してみた。
「スタンダード・ナンバーばかりを演奏するっていうアイディアはどうだろう」
キースはちょっと面白く無さそうな顔をして素っ気なく答えた。
「マンフレート(ECMレーベル代表)も同じことを言ってたけどね・・・」
ああ、これはその気がないんだなと思って話題を変えようとした時、ロザーンがこんなことを言ってくれた。
「でも、私はキースの弾く<オーヴァー・ザ・レインボウ>なんか聴いてみたいわよ」
その後、全国ツアーは順調に進み、最終公演の大阪フェスティバル・ホールもアンコールとなっていた。大歓声の中を再びピアノに向かうキース。一瞬の静寂が空間を支配し、そして鍵盤から導かれたメロディーはまさしく<オーヴァー・ザ・レインボウ>だった。

1987年4月サントリーホール。日本におけるキースのソロ・コンサートは、これで記念すべき100回目を迎えることとなった。(ECMから「ダーク・インターバル」というタイトルでアルバム化されている)
キースは「追加公演ではヴィデオを廻すように」とリクエストしていた。(「ソロ・トリビュート」ビデオ・アーツ・ジャパン)万全の態勢でスタッフがスタンバイし、キースをステージに送り出すその時、キースが僕にむかってチラッとウインクしたような気がした。やがて聴こえてきたメロディに僕は本当に驚いてしまった。それはいつものような即興演奏ではなく、<ザ・ナイト・ウィ・コールド・イット・ア・デイ>のテーマだったのだから。驚くことに、この日のステージは<ラウンド・ミッドナイト>や<サマータイム><愛するポギー>といったスタンダード・ナンバーのみで構成された。

「鯉沼が聴きたかったのは、こういうサウンドかい?」

演奏前、ステージ裏でのキースのウインクの意味がようやく分かった気がした。
そして1999年8月。12年ぶりとなる復活公演を直前にして、キースの新譜がポリドールの斉藤君から届けられた。何とソロによるスタンダード・アルバム。しかもキースが昨年から今年にかけて、自宅のスタジオでレコーディングしたものだという。さっそく1曲目の<愛するポギー>を聴いて、僕は本当に全身がすべて耳になったような感覚に陥ってしまった。テーマ・メロディーをシンプルに弾きながら、実に深い域までスタンダードの美しさを引き出している。とりわけそのピュアなヴォイシング・ハーモニー。聴き慣れているはずのスタンダード・ナンバーがこんなにも耽美的になるのは、様々な経験や病気との闘いをくぐり抜けてきた現在のキース・ジャレットの心境が無垢そのものに熟成されたからだろうか。12年前のサントリー・ホールで聴いた<愛するポギー>から、さらに高い次元へと昇華されているのを僕は全身で感じ取ることが出来た。

『メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー』と題されたこのアルバムは、まさにキースのピュアなハートをそのままにスタンダード・ナンバーをシンプルに描き出した、感動の一作といっていいだろう。もし12年前のサントリー・ホール公演『ソロ・トリビュート』のヴィデオをお持ちならば、ぜひこのアルバムと聴き比べてみてほしい。美酒と同じように、"時"による熟成は音楽にも芳香を秘めさせることを理解してもらえるだろう。



"The Melody At Night, With You" (ECM 1675)
1. I Loves You Porgy 5:44
2. I Got It Bad And That Ain't Good 7:05
3. Don't Ever Leave Me 2:42
4. Someone To Watch Over Me 4:59
5. My Wild Irish Rose 5:15
6. Blame It On My Youth/Meditation 7:13
7. Something To Remember You By 7:11
8. Be My Love 5:33
9. Shenandoah 5:46
10. I'm Through With Love 2:56

Recorded 1998.DEC. at Cavelight Studio
Produced by Keith Jarrett & Manfred Eicher

1999/10/14 ON SALE