キース・ジャレットが以前僕にこう言いました。 「残念ながらジャズ・ピアニストはピアノの機能を50%しか使わずに弾いているんだ。何故ならば、彼らは全くフット・ペダルを使えないからね」キース・ジャレットの2002年の日本公演を収録したDVD「TOKYO SOLO 2002」がアメリカで発売され、大きな評判を呼んでいますが、今回ご紹介するall about JAZZのレビュー記事ではキースのフット・ペダルについて触れられています。
 キース・ジャレットの悪口を言うことは容易いことだ。悪口を言う人にとっては、種切れになることがない。彼は、演奏中に身体をくねらせることやオルガスムスのような呻き声、歪んだ表情で悪名が高い。ジャレットはまた聴衆の誰かが咳をすると出し抜けに演奏を中止する。 彼は手順を決めて聴衆に「咳止めドロップ」を配り、自分の創造性が妨げられないように「グループでまとまった咳」まで纏める。
 多くの人々はジャレットの、お笑いバーレスクのプリマドンナのレベルまで高められた(多分、落ちた)レベルの、度を越した痙攣とか気障な態度を理解することは無理だろう。
 自分自身もかなり気まぐれなマイルス・デイヴィスが或る時、辛口の冗談口調で尋ねた「ところでキース、天才でいる気分はどうだい?」ジャレットの才能の広大なことを否定するものは何も無い。そしてその幾つかをこのビデオははっきりと示している。 2002年のジャレットの150回目の日本コンサートから、これまでにまだリリースされていない材料から成り立っており、日本は彼にとって第二の故郷であるが、これは不思議でもなんでもない。ジャレットの無調の放浪に対して、より感受性が豊かだと思われる日本人の音楽的繊細さ、とアメリカ人の聴衆と較べて、より鋭い静かな敬意の2点の所為である。(すなわち、祭式的な演奏に対して日本人は文化的な親近感を持っているのも一つの要因かもしれない)
 彼の日本人ファンについて言えば、あんまり聴衆を褒めることでは知られていないジャレットが、或る時こう言った「僕の曲に対する彼らの敬意を感ずることは名誉なことだ」多くのソロ・ピアノコンサートの中でもジャレットの演奏は視覚的体験と言える。Tokyo Soloはこのところしばらくジャレットを見ていなかった人々にとっては、ある種のショックかもしれない。彼は1945年生まれで、毎年、年相応に見える。以前のふさふさした髪は、今や短くて灰色である。カメラは、聴衆が見る事が出来なかったことまで明らかにしている。ジャレットの手は節くれだち、高齢者の手のように皮がたるんでいる。カメラはまた、レコーディングでは聴くことが出来ないものを示している。音符が演奏されない。
 その場で作曲された、華麗でメロディックなバラード"Part 2d"の終わりで、ジャレットは終わりのコードを低い音域で弾き、2オクターブ高く繰り返す為に手を持ってくるが、そこで手を引き離す。あたかも「違う、そこでいいんだ」といっているように。ジャレットのコンサートは、良くも悪くもいつでも出来立てである。
 一番楽しい驚きは、一時間以上の彼のトレードマークの即興演奏の後で、ジャレットが3回のアンコールに呼び出されて、3曲のスタンダードで応える時である。"Danny Boy"は聴衆の幾人かの目に涙が浮かんでくるような、絶妙な優しさで弾かれ、最後の"Don't Worry 'bout Me"は、慢性疲労症候群の長ったらしい衰弱期間は終わったよという、多分彼の日本のファンに対する元気付けである。
 デイレクター、河内紀氏は、彼のカメラワークで敬意をもって名前を挙げられる価値がある。彼の静かな独創性の或る撮影は、ビデオの価値を高め、気が散るような自意識過剰な努力を避けている。 素晴らしい例が、滅多に真ん中を使わず二つを一遍に使うフットペダルの使用を見せるジャレットの足のショットである。
by Victor Verner (all about JAZZより)
http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=22050
このall about JAZZの、目も耳も肥えたレビュアーの適確な批評に僕はとても感心しました。特にキースが巧妙に使いわけるフット・ペダルをディレク ターの河内紀氏がきちんと映像に収めていることを筆者は見逃さず、そのセンスを賞賛 しているところなど実に見事だと思います。 次回のKoinuma's Noteもall about JAZZからのもうひとつのレビューをご紹介します。
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