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「バイ・バイ・ブラックバード」録音現場ドキュメント
(「スイングジャーナル」‘93年5月号より)

ジャック・ディジョネットとゲイリー・ピーコックは、12時ちょっと前、ほとんど同時にやってきて、すぐセットに掛かった。キースはごく軽い挨拶を交わしただけで、彼らと口をきかない。ジャックとゲイリーがウォーム・アップを始める。キースは頃合いをみて、「彼らの音にもイコライザーはかけるなよ」と一言ニューランドに言うと、スタジオに入っていった。ジャックのリズムと、ゲイリーの音の流れから、キースはホンキー・トンク風のユーモラスでくだけた演奏を始めた。
その間、ニューランドは必死だ。必死でバランスをとっている。(バランスがとりきれないうちに、演奏がやんだらどうなるんだ。)先程、キースがひとりで試し弾きをしたときも、そう思ったのだが、ここでもそんな心配が私の頭をかすめた。
が、まるでニューランドのやってることの一部始終をみているかのように、テープがまわり出し、バランス・チェックに十分な分量が収録できたところで、キースは演奏を止めた。 プレイ・バックを聴いた後、キースは再びノイズ・マイクの位置を直し、もう一度バランス・チェックを行ない、本番前の小休止に入った。ジャックとキースは、スタジオ脇のロビーでコーヒー・ブレイク。その間ゲイリーが、スタジオの物陰にかくれるようにして、ひとりで煙草を吸っている。
ジャックもキースも煙草を吸わず、特にキースは煙が大嫌いだ。だから、そのときのゲイリーの姿といったら、まるでガキが先生の目を盗んで吸うような、そんな煙草の吸い方だった。
「ゲイリー、相変わらず今日やる曲は知らないのかい?」
私も煙草を口にしながらゲイリーに声をかけた。私の煙草をみて、ゲイリーはほっとしたように微笑を浮かべ、「もちろん、知らないよ」と応えた。 キースは、コンサート・ステージでも、やる曲は一切誰にも事前にあかさない。だから、ジャックもゲイリーも、どんな曲を、どんなテンポで、どんなキーでやるのか、まったく知らないまま、いつもステージにあがるのだ。彼らの演奏に漂う、あの独特な緊張感は、そんなところから生まれるのだ。
この日も、レコーディングだというのに、まったく曲目は誰も知らないのだ。やがて3人がスタジオに入る。キースがピアノに座る。いよいよレコーディング開始。マイルスへのトリビュートが始まるのだ。
ニューランドが真剣な眼差しでキースの一挙手一投足をみている。テープをまわし出す頃合いを見計らっているのだ。ここでも通常のレコーディングのように、テープのスタートと演奏のスタートを確認し合うような言葉のやりとりなど一切ない。
ニューランドが助手にテープのスタートを命じる。テープがまわり出す。が、キースはまだ演奏を始めない。固唾を呑んで見守るなか、演奏は遂に始まった。<ユー・ドント・ノー・ホワット・ラブ・イズ>だ。私の中に、言い知れぬ熱いものがふつふつと沸き上がってくる。それが許される場所だったら、私は大声で叫んでいたに違いない。そうすることによって、沸き上がってくるものを思う存分発散させていただろう。
演奏が終わる。ホッとする間もなく、間髪を入れずキースは2曲目を弾き出す。<ラメント>だ。そして3曲目の<バイ・バイ・ブラックバード>へと、メドレー風に演奏が続く。<ブラックバード>の途中で、ゲイリーにソロを渡したキースが、立ち上がって、タオルで顔をふきふきスタジオの中を歩き出す。キースのそんな姿を私は見馴れている。コンサートの際、舞台のソデから、そんな光景をいつも見ているからだ。その見馴れた光景に出くわしたことから、私にゆとりが生まれた。
そこで初めて、録音室の中を私は見回した。左隣りでロザーンが椅子に座り、テンポに合せて足を動かしながら本を読んでいた。草花の好きな彼女が見ていたのは、園芸の本だった。後ろには、ステファン・クラウドとポリグラムのECM担当者が2人並んで立っていた。みんな表情は柔らかい。私よりはるかにリラックスした様子だった。が、ひとり私の右に座っていたジャックのグループのピアニスト、マイク・ケインだけは、身体を固くして、食い入るようにスタジオの中を見つめていた。
 <バイ・バイ・ブラックバード>が終わったところで休憩に入った。テープがまわり出してから40分ほどが経過していた。
 私は当然3人が、プレイ・バックを聴くため録音室に入ってくると思い、待っていた。が、驚いたことに、誰もプレイ・バックを聴きに来ないのだ。拍子抜けして行ってみると、ロビーでまったくの世間話をしながら、3人でコーヒーを飲んでいた。ミュージシャンがプレイ・バックを聴かないレコーディングなど、それまで私は見たことも聞いたこともない。
 サイドメンに曲目も知らせず、したがって、もちろんイントロもエンディングもまったく打ち合わせなしで演奏に入る。終わってもプレイ・バックを聴かない。
 ジャズは即興の音楽というが、演奏の「流れ」についての打ち合わせはするものだ。イントロ、エンディング、ソロの順序とコーラス数、バース等々。場合によってはコード・プログレッションの確認まで行なわれる。そしてレコーディングの場合、同じ流れに沿って幾度かテイクが重ねられ、出来のよいものを作品に入れる。それがレコード制作の常識だ。だがキースは今、まったくこの常識を打ち破ったレコーディングをしている。
 私はそのとき初めて気付いた。このジャズへの姿勢、演奏という行為に対する姿勢こそが、キースのマイルスへのトリビュートなのだということを。
 マイルスはレコーディングのとき、サイドメンにいちいち指示は出さなかった。もちろんステージでも同じだ。マイルスのジャズというのは、完璧な「流れ」を作って、その中に即興を嵌め込むというものではなく、「流れ」そのものまでも即興にゆだねるものであり、その姿勢を貫き通したところにマイルスの真価があったと私は思っている。その同じ姿勢をキースがみせている。数分後にレコーディングは再開された。トリオが創り出す世界に私は聴き入った。マイルスのハーモン・ミュートがここに入ってきたら・・・と思うシーンが幾度もあった。キースが意識的にそういう演奏をしたわけではないだろう。私のマイルスへのトリビュートが、キースの音に誘われて顔を出したのだ。
 因みに、このスーパー・セッションの所要時間は3時間10分であった。

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